パイロットになる苦労
もうすぐ現実に戻され気分は徐々にブルーな four engine driver でございます。
昨晩は担当の教官に夕食作るからと誘われマイアミビーチにあるマンションにお邪魔しました。夕方に部屋を出て渋滞にはまりまくりましたが、予定より30分ほど早く着いてしまいました。
早く着いちゃったと連絡すると丁度良いからビーチに行こう!と言うことでビール持ってビーチで乾杯🍻
夕方なので日差しもだいぶ収まり海風が心地良い感じでした。良い生活してるなーと思い人生楽しいでしょと訊ねると、
「今は最高だ!だけど若い頃は凄く大変で本当にパイロットになったのを悔やんだ日々もあった」と。
話を聞いて行くと、
免許取ったけど70年代は就職氷河期。嫌になる程CFIの仕事をしていた。時給も安く月$200稼げればいい良い方だった。
アメリカでパイロットの仕事は無く、多大な借金を返すためには国を出て職を探した。
海外でもリストラになり一回何もかもを失った。
新たに見つけた仕事はアメリカ空軍パイロットのみ。一回入ると最低6年は国にコミットしなければならない。でも生きて行くには空軍に頼るしかなかった。
8年位空軍にいた時アメリカの景気も回復してきたのでコミューターに入る事ができた。でも時給が低く生活は苦しかった。クレジットカードに頼る日々が続いた。
ある日たまたま空軍時代の友人から連絡があった。アメリカ大手航空会社に勤めており紹介するから来いと言われ入社した。そこからは全て順調に来た。
航空業界はアメリカのみならず世界中で景気や情勢に左右されるので今は良くても来年はどうなるのか分からない。辞めたいと何回も思ったけどやっぱり飛ぶのが好きなんだよ。だから多少辛くてもやはり辞められなかった。
教官の言葉が身にしみます。
私も今は悠々自適な生活を送っていますが、エアラインに入るまでは色々大変でした。
自分もアメリカで教官の仕事をやっている時グリーンカードが取れたらリージョナルにアプライしようと思っていました。
ところが9/11のテロが発生。
アメリカでエアラインパイロットになる夢が崩れた時でもありました。
外国人には国籍どころか永住権も発行しない事態になってしまいエアラインパイロットになるどころかアメリカで働く機会も失いました。
何か方法はないかと色々模索し友人のアドバイスをもらい日本でパイロットになる道に進むことを決めました。
ところが海外で生まれ育ち、両親は香港にいたまま。日本の生活や身元保証は親族に頼らざる得ない状態でした。
親族は嫌な顔一つせず軽く介錯してくれ日本の免許に書換えるためのローンの保証人になってくれものすごく助かりました。
「絶対に迷惑かけないから」
その言葉を100%信用してくれたと今でも言っています。
苦労の分だけ輝いている、本当にそう思います。
とまぁ、そんなことを思いながらマンションに戻ると丁度綺麗な夕焼けが。
ビール飲みながら見る夕焼けは格別なものでした。
その後教官の手料理を満喫しました。楽しい時間は早いですね。あっという間に夜の10時でした。
パイロットやってて何が良かったかと言いますと、素敵な仲間との出会いでしょうか。航空関係の話って国関係なく盛り上がるんですよね。
訓練も最終コーナー、そしてアメリカ滞在も後わずか。残り少ない時間を楽しみたいと思います。